母校の名古屋芸大での講師によるコンサートが終わりました。
講師の研究発表のような位置付けて初めて取り組んでみましたが、新しい発見も再確認できたことも両方あって、予想していたより随分と充実した機会となりました!
なにはさておき、普段指導する学生たちの前で本格的に(今風で言う”ガチンコ”で!!)演奏するだけでも大いに緊張というか、余計な「気負い」や「照れ」も感じましたし、自分が学生時代に試験やオーディションで何度も苦い経験をした大学のステージで歌うことに過分な思い入れもあって、最近の舞台では無かったほどに緊張してしまいました。(Rossiniは特に硬かったなーと猛省!!)
イタリア古典歌曲(本来はオペラのアリアのものも有り)は、当時の様式になるべく沿うように反復部では変奏を入れて歌いましたが、やはり個人的にはこの方が好きですね。単純に”楽しい”と感じながら歌えました。こういう演奏方法を初めて聞いた学生も多かったようでした。
合唱(重唱)に関しては演奏前に、少しレクチャーというか選んだ意図やテーマを解説してから演奏しました。要約すると↓
「オペラ歌手は本当に、いわゆる『合唱曲』を歌っても発声技術を駆使してブレンドしたハーモニーが作れるのか?」
(笑)
例えば、三大テノールのコンサートで3人が有名曲をメドレーで歌う際にしばしば誰か(ほとんど場合ドミンゴ)がメロディー以外=ハモリのパートを歌うことがありますが、音程が正しくてもハーモニーとしての融合、音色の統一感は感じにくいと思いました(※個人的な意見です)。最初から最後まで、あくまでもパヴァロッティはパヴァロッティの、カレーラスはカレーラスの声に自分には聞こえました。
オペラ歌手はその発声技術が高度であるほど、楽器としての「声」の純度や個性が極まり、結果として世界で唯一の音色、誰とも違うオリジナルな声を生みだすように思います。声帯の長さやその周りの骨格、筋肉の質や量、共鳴腔である顔面や頭部の形などが密接に音色に関与するからです。
もちろん他の楽器も個体による性格は様々ですが、例えばCDなどの録音の声だけでデル=モナコやマリア・カラスのそれと分かるほどに、ピアノの音だけでホロヴィッツとリヒテルが聞き分けられる、とは想像しにくい気がします。(もちろん選別出来る人もいるでしょうね。)
オペラや「第九」など、多数の合唱を後ろに従えてもソリストの声が突き抜けて聞こえるのは音量の問題だけでなく、響きの純度が高いゆえに共鳴の度合いが大きいからではないかと思います。(例えば100人のコーラスがいたとして、ソリストが通常の100倍の馬力や100倍の声帯を持っているわけではないので。)
その理屈で言えば、いわゆる合唱界で言う「きれいにハモった音色」にはオペラの発声は向いてないのかな?と常々思っていたので、実験的に今回”Ave verum corpus”と”大地讃頌”を演奏してみました。
(続く)