休憩を挟んで後半は「より、ロマン派」の作曲家をご紹介します!まずは歌劇王ヴェルディから。
イタリアオペラ最大の作曲家であるジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901年)は、その長寿ゆえの長い音楽歴もあって一括りには音楽スタイルを線引き出来ないのですが(通常、いくつかの時期ごとに区分されて論評されます)、26歳の時に初演されたオペラのデビュー作から既に「ヴェルディの香り」がしっかり漂っていて、むしろ最晩年に書かれた「オテッロ」や「ファルスタッフ」で全く新しい作風を世に送り出して当時の音楽界を驚かせています。
歌曲『ストルネッロ Stornello』が作られたのは1869年で、これはヴェルディのオペラ創作暦で言うところの「ドン・カルロス(仏語版)」作曲の2年後、「アイーダ」の2年前という、大作発表の狭間の時期に当たります(この間に「運命の力」改訂版も発表)。つまりヴェルディのすっかり円熟期にあたり、オペラを大規模な総合舞台芸術としてのピークにまで高め切った頃に、一方でこの『ストルネッロ』のようなある種かわいらしい小品を書いているのがとても興味深いですね。(なおこの歌曲は、貧困の中で病に伏した旧知の台本作家の救済支援のために作曲されています。)
この歌曲のタイトルの「ストルネッロ」とはイタリア中部の伝統的な庶民的即興詩のスタイルのことで、日本で言う五七調のように詩の文字数によって「韻律」があるのが特徴です。この曲はその詩のリズムと軽快で風刺的な音楽が合わさって、いわゆるヴェルディらしい曲の雰囲気とは一線を画す洒脱なものとなっています。
元の詩が女性からの言葉で書かれているため女性歌手が歌うことが多いようですが、個人的にはテノールのカルロ・ベルゴンツィ Carlo Bergonzi(1924〜2014年)が歌う録音が一番好きですね。「ヴェルディ・テノール」「ヴェルディアーノ」と称されたベルゴンツィによる格調高いヴェルディ歌唱はお手本とされるものですが、この小品でも軽妙さや皮肉のこもった歌い回しの中においても凛とした音節や歌詞のさばき方で、決してヴェルディの品格を損なわない模範的様式美を披露してくれています。(歌曲ということもあってか、このベルゴンツィや同じくテノールのディ・ステーファノらは歌詞の一人称を男性形に変えて歌っています。また二人とも2番では風刺的なオリジナルのフレーズも挿入していて、リサイタルでもこれらを採用して歌う予定です。)
1番と2番のどちらにも出てくる最後の歌詞、《(私は)皆んなの下僕であっても、誰にも従いはしない》という天邪鬼(あまのじゃく)な皮肉と反骨精神は、生涯を通じて一筋縄ではいかなかった作曲家本人の性格と重なって見えるようにも思えて面白いですね。(作詞は不明ですがヴェルディ本人という説も有り。)今回初めて歌います。
(歌詞)
君は俺を愛していないと言う…俺も愛してないさ…
君は俺を望まないと言う、俺も君を欲しない。
他の魚に餌を仕掛けると君は言う。
俺も他の庭で薔薇を摘み取るさ。
それじゃこの欲求についてお互い同意しようじゃないか。
君は君の思うようにして、俺は俺の望むようにする。
俺は俺自身自由なんだ、皆んなそれぞれが主(あるじ)なんだ。
俺は皆んなの下僕だが、俺は誰にも従いはしないのさ。
愛における不変さなんて狂気の沙汰だ。
俺は気移りしやすいってことを誇らしく思うのさ。
もう道端で君に出くわしても動揺することはないし、
君が遠くにいる時に涙で苦しむこともないね。
まるで檻(オリ)から出た小鳥のように
夜も昼もずっと騒いで歌うのさ。
俺は俺自身自由なんだ、皆んなそれぞれが主(あるじ)なんだ。
俺は皆んなの下僕だが、俺は誰にも従いはしないのさ。
(※写真右上:『ストルネッロ』を作曲した頃のヴェルディの写真。 右下:リサイタルで歌うテノールのベルゴンツィ。この1987年の東京でのプログラムは『ストルネッロ』で始まっています。当時63歳!)