リサイタルへの誘(いざない) 〜4/18〜

4曲目はロッシーニの難曲アリア、リサイタル全曲のうち最長の演奏時間(約7分)です!

 

 

歌劇「アルジェのイタリア女」は1813年(作曲家21歳)の喜劇作品で、ロッシーニは依頼からわずか1ヶ月弱で完成させたとも言われています。初演は大きな成功を収め、のちに自身の喜劇分野での代表作となる「セビリアの理髪師」(1816年)や「チェネレントラ(シンデレラ)」(1817年)へ続く重要な作品でもあります。ロッシーニの喜劇作品の中でもよりコメディー色が強く、現在も欧米を中心に世界中で人気のある作品です。(残念ながら日本ではなかなか上演機会がありませんが…泣)

 

 

なおこれらの喜劇作品があまりにも人気だったこともあり、その後150年にわたって「ロッシーニ=喜劇の作曲家」というイメージが良くも悪くもついて回ることになりましたが、1960年代末に始まった”ロッシーニ・ルネサンス(復興)”の動きにより再考察・再検証が継続的に行われ、生誕地であるイタリア・ペーザロ市で毎年開催される”ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル”などの実証の功績により、決して喜劇の分野に留まらないロッシーニの偉大な芸術や本来の作品の価値が世界的に再評価されています。(2007年に約1ヶ月間、ペーザロのロッシーニ・アカデミーの研修生として上記のフェスティヴァルに参加、ロッシーニについて様々な講義や実習カリキュラムを受講し、オペラ公演に出演しました。)

 

 

このオペラのヒロイン・イザベッラの恋人を演じるリンドーロ役(テノール)には2つのアリアが与えられていて、今回歌うのはその登場シーンに歌われる『美しい人に恋焦がれて Languir per una bella』の方です。地中海に面したアフリカのアルジェ(現在のアルジェリアの首都)の太守に囚われているリンドーロは、祖国に残した遠い恋人を想いながら嘆いています。アリア後半では早いテンポに乗せて《だが苦境にあっても、愛する人の事を想うだけで幸せなのだ》といじらしいほど前向きな歌詞を、華麗な細かい音符と連続する高音で歌い続けます。

 

 

ロッシーニが書いたテノールのアリアの中でも指折りの音楽的完成度と難易度の高さを持つため、国際的な声楽コンクールや、プロフェッショナルの歌手によるロッシーニ・アリア集のCDでもよく採用されています(もちろん、ロッシーニをレパートリーに持つテノールに限ります)が、自分にとっては最高難度の曲であるため、普段の”コンサート(=楽しくトークしたりカンツォーネや日本の唱歌なども歌う、主にお客様のための演奏機会)”ではプログラムに入れることが出来ない曲の一つでもあります。”全集中!”が必要というわけですね!

 

 

声の寿命と言うか、消費期限(?)を思うと、「もしかしたらこの曲は、今回が最後になるかもしれないなぁ…」と思ったりしています。リサイタルならではの”リスクのある選曲”ですが、最後まで無事に歌い切れるよう応援よろしくお願いします!(笑)

 

 

 

(歌詞)

美しい人に恋焦がれ、

その人から遠く離れていることは、

心が感じられる事の中で

最も残酷な苦しみなのだ。

 

きっともうすぐ彼女に会える時が来るだろう、

でももうそれを望みはしない。

 

困難にあっても幸せなこの魂は

彼女の慈愛をただ想っていれば平穏なのだ、

常に愛に誠実に従う、その慈愛を想えば。

 

 

 

(※写真右上:若い頃のロッシーニの肖像画。 写真右下:この曲を歌うファン・ディエゴ・フローレス  Juan Diego Florez。23歳で彗星の如くデビューし、特にロッシーニの分野での圧倒的な歌唱技術で瞬く間に世界的なスター・テノールとなった。他の多くのテノールたちと異なる、恋に燃える永遠の青年(少年?)的なスタイリッシュな容姿はロッシーニのテノール役にピッタリで、溌剌とした演技や歌の豊かな表現から漂うインテリジェンスでも多くのファンを獲得した。この分野に限って言えば、過去100年の中でも最大級の評価を得るテノールの一人と思われる。現在はより重厚な分野にレパートリーを拡大させている。)