モーツァルトの次はロッシーニ。リサイタルのメインとなる、イタリアの音楽へ!
ロッシーニの歌曲『饗宴 L’orgia』は、「音楽の夜会 Soirées Musicales」という歌曲集に収められていて、1835年に出版されています。天才中の天才・ロッシーニにまつわる不思議な(不可解な?)エピソードは本当に多く存在するのですが、その中でもよく知られているのが、ヨーロッパ最大のオペラ作曲家として絶頂期だったにも関わらず、歌劇「ウィリアム・テル」を最後に37歳という若さで突然オペラの筆を折った、というもの。つまりこの歌曲集が出版されたのはそのあと(ロッシーニが43歳の時)ということになります。
30代にして既に今で言う”年金暮らし”(はじめはフランス国王から、革命による退位後は同国新政府から莫大な終身年金が支払われ続けました!)になっていたロッシーニにとって、この歌曲集が売れようが売れまいが生活上においてさほど重要な問題ではなかったことでしょう。つまり世の中の流行や楽譜の売り上げを気にせず自分の思うままに作曲した(売れるために作った曲<創造力に任せて作った曲)という意味では、ロッシーニの才能やセンスがより高い純度で反映されているのかもしれませんね。曲集には他にも魅力的な作品がたくさん収められていて、今も世界中の声楽家が好んで取り上げています。
『饗宴』と、やや”ぼかして”邦訳される曲名L’orgiaのイタリア語には本来、「乱痴気騒ぎ、どんちゃん騒ぎ、大宴会、乱交、狂気の宴」などの意味があって、何やらアブナイ匂いもする言葉です。歌詞に出てくる「バッコ Bacco」はローマ神話に登場するワインの神バッカスのこと(ギリシャ神話ではディオニソス)で、多くの女性信者を引き連れた”集団的狂乱と陶酔”を伴う宗教の神ともされています。同じく「アモール Amor」はその名のとおり愛の神。日本では別名の”キューピッド”の方がお馴染みですね。
単なる健全な酒宴の歌に留まらない、怪しげでエロティックな雰囲気をも漂わせる歌詞を持ちながらも、天才ロッシーニは特にそこを強調もせず、一聴するとむしろ溌剌とした外向的な音楽にも聴こえます。あるいはそうした部分の表現は演奏者の解釈に委ねているのか、ともかく楽譜上のテンポの揺れや表現の指示はほとんどありません。アナリーゼ(楽曲を分析して、本番でどういう風に歌うかイメージしたり楽譜にメモすること)に窮していると、まるで天上からロッシーニがこちらを見ながら「さて、この曲をどう料理してくれるかお手並み拝見」とシニカルな笑みを浮かべているように思えてきます!(プッチーニや山田耕筰のように表現の指示を楽譜に全部書いてくれていたら迷わないですむのに!)
天才とはいつの時代も天の邪鬼(あまのじゃく)、凡人にはなかなか即座に近付けない、すぐには分かり合えない存在ということでしょうか…(なお作曲家自身はピアノの腕前も相当なものだったため、この曲は伴奏も非常に聴き応えがあります!)
今回が初披露の曲です。
(歌詞)
皆で愛そう 皆で歌おう 女と酒を、
(酒の神)バッカスと(愛の神)アモールに囲まれた
人生は歓迎されしもの!
心の中にアモールがあり、頭の中に葡萄酒があるなら、
それは何という喜び、何という宴、何という愛しき情熱なのだ!
恋をしながら、ふざけながら、酒を飲みながら、
我は燃え上がり、憂鬱と悲しみから逃げ去るのだ。
バッカスとアモールに囲まれた人生は歓迎されしもの!
踊ろう、歌おう、グラスを掲げよう、
皆で笑い、寂しい想いに挑みかかろう。
神々しき女神であるアモールの母君は
喜ばしげに あらゆる心を甦らせる…
生き生きとした熱気と共に 飛び跳ね、泡立ち、
神々しい葡萄酒は世界の主なのだ…
我はもう踊り、よろめく、なんたる芳香、なんたる蒸気!
人々は聖なる熱狂と共に酒を飲み、また飲み返すのだ!
バッカスとアモールに囲まれて人生は完成するのだ!
万歳、万歳、女と酒よ!
(※写真右上:酒の神バッカスと宴の絵画。 右下:世界的テノール歌手J.D.フローレスの2008年スカラ座でのリサイタルのパンフレットとCDのジャケット、歌曲集「音楽の夜会」の楽譜。フローレスは自分のわずか3歳年上、当時35歳で既に世界最高のテノールの一人として人気の絶頂にあり、同世代で生ける伝説となりつつあるテノール歌手の存在は留学時代のこの上無い刺激となっていた。この時も作曲家ごとに歌曲とアリアを組み合わせるという独創的・意欲的なプログラムでリサイタルを行い(今回の元ネタです!笑)、その名声にふさわしい高い歌唱技術と豊かな表現力でスカラ座に「Bravo〜!」の嵐を巻き起こしたのを記憶している。L’orgiaも歌われた。)