追記

山口県の芸術文化振興奨励賞受賞の記事の補足追記です。

 

前回のブログの写真にもありますが、今回の受賞にあたり自分の活動の略歴と舞台の写真(2017年の藤原歌劇団主催公演「セビリャの理髪師」)を掲載した資料が、関係者や取材記者の方々に当日配布されました。

 

私は山口県から愛知県の音大に進学し、そこで声楽の道をスタートしました。大学院を出てそのまま愛知県周辺での演奏活動ののち、30歳になる時にイタリア・ミラノに留学し、約3年後に師匠中島基晴先生のご退官と入れ替わるタイミングで母校の名古屋芸術大学に非常勤講師として勤めるため帰国し、指導の道も始まりました。名古屋に自宅を持ちつつ4年前からは東京町田市の桜美林大学で、同じ師匠を持つ”姉弟子”でもある小林玲子教授のもとで非常勤講師を務めています。生活の中心はもちろん舞台活動ですが、そのほか名古屋ではシニアのアマチュア合唱団の指導や合唱コンクールの審査、オペラ団体の研修所の指導なども長年携わっています。

 

以上のように、私は出身地から大学、留学前後も含め今に至るまで、一度も「東京」に住んで生活したことがありません。他の多くの業界と同じく、クラシック界、オペラ界の中心ももちろん「東京」あるいは東京を含む首都圏である中、そこに長く居住した経験もタテヨコの人間のパイプも無い”地方歌手”の自分がこれまで身に余るような大きな舞台を経験してこれたのは現在所属する日本オペラ振興会([藤原歌劇団]と[日本オペラ協会]を持つ公益財団法人です。)とのご縁に他なりません。きっかけは留学から帰国後の2010年に客演(それまでフリー)したのが始まりで、その後2012年に入団しました。

 

写真の”今後の抱負”欄にもあるように、藤原歌劇団の創始者であるテノール歌手の藤原義江(1898〜1976)は山口県下関市出身で、ミラノに留学して特にイタリアオペラの分野を得意とし、またイタリアのカンツォーネも日本にたくさん紹介されたことから「イタリアものなら藤原歌劇団」というオペラ界の定評は田舎の学生時分の私でも認識するところであり、師匠の影響でイタリアもの一辺倒で歌の勉強に励んでいた若者としては「日本でやるなら、いつか憧れの藤原歌劇団に入れるような歌い手になりたい」と、遠い存在として漠然と憧れていたように思います。

(補足:日本で常設の合唱団とオペラ稽古場を持つ1000人規模のプロ団体は「藤原歌劇団及び日本オペラ協会」(=日本オペラ振興会)と「二期会」の2団体があります。そのうち「二期会」は発足当時の理念のひとつに外国オペラ作品を日本語で上演するということもあり、また藤原歌劇団と比較すると演目の分野もオールマイティーで、特に自分が学生の頃は日本語上演、もしくはドイツ系のイメージがありました。現在は、イタリアものも含め基本的に原語上演で、出演歌手やファンも含む周りのイメージも随分グローバルに変わったように思います。共演した仲の良い同僚歌手もたくさんいます。)

 

ちょっと手前味噌ではありますが…(笑)、素晴らしい歌手や音楽スタッフ、舞台スタッフの集まる藤原歌劇団及び日本オペラ協会の中で歌わせてもらうことは、地方に在する自分にとって「東京」を感じながら歌手として成長できる最高の時間となっています。ここの多くのカンパニーで鍛えてもらったことで自信が付き、外の公演に出演する時でも臆することなく自分を表現することが出来るように感じますし、また指導の現場ではここで見聞きしてきた巨匠たちの、優れた演出家の、博識で経験豊かな同僚歌手たちの言葉や立ち振る舞いを伝えるだけでほとんど教える役目を果たす事が出来るように思うのです。

 

もし最初から「東京」の人間としてこの世界に入っていたら同じように思うかどうかは分かりませんが、この度の受賞に際し自分の略歴を振り返った時に、あらためて藤原義江=藤原歌劇団とのご縁を感慨深く思い、地方にいても自分が望む以上の音楽的芸術的幸福感を享受出来ていることに心から満足しています。これからも出演の度にプロフィール欄に「藤原歌劇団団員/日本オペラ協会会員」と表記するからにはその名に恥じないような歌を歌わねば!と励みになることと思います。自分のプロフィールを見てもらうことで我が所属団体の創始者(日本最古のプロオペラ団体の創始者です!)とのご縁をほんの少しでも思い浮かべてもらえたら嬉しいですし、特に地方のオペラファンからは今でも崇拝の対象であり続ける”我らがテナー・藤原義江”が永遠に不滅であり続けることを願っています。

 

最後に、このコロナ禍による世の中の変化、特にポップスや芸能界も含めた音楽やステージ活動の提供の仕方(ネット配信がメインになる可能性)についてはそれぞれ演奏家の判断で対応していく必要があると思いますが、写真の”今後の抱負”にも書いたように、電気という存在が生まれる”前”の文化であるクラシックやオペラを愛する者としては、いつの日かコロナ収束の折には”人間の生の声・アナログな音の響きだからこそ人間の心を揺り動かせる”ことに、再びスポットライトが当たる事を心から期待しています。