リサイタル最後の曲は、フランスオペラの代表作「ウェルテル」のあの名アリアです。
ドイツの文豪ゲーテの傑作「若きウェルテルの悩み」を題材に、主人公の詩人ウェルテル(テノール)と友人の妻であるシャルロッテ(メゾ・ソプラノ)の禁断の愛の物語を、マスネの叙情的かつ激情的な音楽で描いたのが歌劇「ウェルテル」(1892年初演)です。マスネの代表作というだけでなく、フランスオペラの代名詞的な作品としても世界中で高い評価と人気を得続けています。日本では1955年(昭和30年)に、名テノールのフェルッチョ・タリアヴィーニがウェルテル役、その奥様のピーア・タッシナーリがシャルロッテ役を演じて初演されています。(なおこの時は主役の二人がイタリア語歌唱、他の邦人キャストと合唱は日本語歌唱だったそうです!)
そしてこのオペラ最大の聴きどころが、ウェルテルのアリア『春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか Pourquoi me réveiller, ô souffle du primtemps』です。数あるテノールのアリアの中でも指折りの人気曲(よほどのドランマーティコ=劇的な声、もしくは極端なレッジェーロ=軽い声のテノール以外は、ほとんどの世界的歌手が舞台や録音で歌っています!)で、悲劇的なメロディーとロマンティックな歌詞の台詞(実際に「オシアンの歌」という詩を朗読するところから始まります)、儚く胸に迫る弱音、そして感情が高まった末に放たれる痛切な高音の持続音など、演奏時間は短いものの実に内容の濃いアリアとなっています。
ウェルテル役は一般的なテノールの役柄とは趣が異なり、より繊細で詩的、内省的な性格の持ち主ですが、このアリアのシーンは歌い進めるにつれて次第にその基本キャラクターを超越し、ついには抑えきれず激しく愛の熱情が迸(ほとばし)る「激情的な構成」が正にオペラティックだと思います。また実際のオペラ上演では伴奏するオーケストラの音の厚みとボリュームがしっかりあるため、声にある程度以上の力強さが無いとたちまちかき消されてしまう曲でもあります。
多くのテノールが歌い演じている中、自分が個人的に最も感情移入するのは「スペインの至宝」ことアルフレード・クラウスのウェルテル像と、このアリアの歌唱です。気品がありながらどこか影を漂わせるその佇まいや容姿、抑制された演技(意味も無く両手を広げたり、オーバーな表情を作ったりしません)などの視覚的要素を備えつつ、その極限まで高められた優れた発声技術(70歳を過ぎても現役であり続け、「三大テノールのさらに上のレベルに位置する別格」と評されました)による声と音楽で、自分にとっては常に理想のウェルテル像としてかけがえの無い偉大なテノール歌手です。ブレス(息継ぎ)の場所やフレージングなど、今回の自分の歌唱も少なからずクラウスの影響を受けていますね。
人間が自分の心を制御=コントロールすることを「自制心」とするならば、ここでのウェルテルは「自制心を失った」状態、あるいは「自制心を徐々に失っていく」状態と言えるでしょう。(そしてこのアリアのシーンの後、ウェルテルはシャルロッテから送られた拳銃で自らを撃ち、自殺を遂げます。)次第に変化していく感情を、リサイタルでは共演者や演技無しに声と音楽だけで表現することになるのですが、プログラム最後にして最もドラマティックなこの曲に、初めて挑戦する喜びを感じながら歌いたいと思います。
(歌詞)
なぜ私を目覚めさせるのか、おお春風よ、
なぜ私を目覚めさせるのか?…
私は自らの額にあなたの愛撫を感じる、
にも関わらず嵐と悲しみの時をすぐ近くに感じているのだ!…
なぜ私を目覚めさせるのか、おお春風よ?…
明日、私の最初の栄光を思い出しながら
旅人は谷合いに来るだろう…
そして彼のその目は私の光輝を虚しくも探し求めるが、
もはや嘆きと惨めさの他は見つからないのだ!…ああ!…
なぜ私を目覚めさせるのか、おお春風よ!…
(※写真右上:手元にあるヴォーカルスコアの表紙。 右下:ウェルテル役を演じるアルフレード・クラウス。スタイリッシュな立ち姿やエレガントな演技の所作は様式美としてのオペラの有り様の模範あるいは美徳でもあり、それは古典的な演出機会が激減している現代ではほとんど「絶滅危惧種」となりかけている。)