前半のトリで歌うドニゼッティのアリアは、歌劇「愛の妙薬」の名アリアです。
笑いあり、涙あり、の人気オペラ「愛の妙薬」(1832年初演)は自分のレパートリーの中でも出演機会が多い作品で、今回のリサイタルのプログラムの中でも、過去に最も回数多く歌ったのがこの曲です。(なお今回16曲歌う内の10曲は、初めて本番で披露する「初演」となります。)
大学院生の時に、生まれて初めて主役テノール(プリモ)としてオペラ一本を歌い演じた作品がこの「愛の妙薬」で、その時は大学主催による日本語上演だったのですが、その公演用に自分で全曲のオリジナル邦訳を作成しました。オペラを勉強する上で自分のパートだけでなく、合唱も含む全ての出演者の歌詞や音楽の内容を理解する大切さをこの時に学びました。今でもその時の対訳付きの楽譜を持っていて、アウトリーチや学校鑑賞会などで子供達にオペラを紹介する時にその日本語の歌詞でアリアを歌う時もあります。学生時代から今に至るまで、このオペラは自分にとって常に身近な存在で居続けてくれる大切なレパートリーとなっています。
オペラの主人公ネモリーノ役(テノール)には3つのアリア=独唱のシーンが与えられていて、その内コンサートなどで単独で歌われるのが2つ、そしてコンクールやオーディションなど審査の対象とされる時に歌われるのがこの『人知れぬ涙 Una furtiva lagrima』です。想いを寄せるアディーナ(ソプラノ)が自分を思って流した涙を見て、《彼女は僕を愛してるんだ!…神様、もう死んだって構いません》と感動して歌うのですが、この喜劇(ブッファ)的で楽しく賑やかなオペラの中で、唯一このアリアのシーンだけ舞台に登場人物が一人となり(他の全てのシーンは必ず舞台に複数人います)、夜のシーンのため暗い照明の雰囲気も合わさって、若い農夫ネモリーノの朴訥でやや愚鈍なキャラクターからは思いもよらないほど切なく美しいメロディーは、このオペラの最大の聴きどころにもなっています。
ベル・カント唱法の特徴とされる「滑らかで均質な音色、自然な発声、美しいフレーズライン」などが求められる、テノールのベル・カント(bel canto)の代表的な曲としても知られるアリアですが、レッジェーロ(軽い声)からリリコ(叙情的な声)の範囲の多くのテノールがコンサートや録音で歌っている名曲です。結末部のカデンツ(伴奏が無く、アカペラで歌われる部分)には伝統的な慣習による音形と歌詞が付け加えられていて、その末尾の歌詞《愛で死ぬことが出来るのです Si può morir d’amor》の中の《愛で d’amor》は、ドニゼッティのスコアには無い言葉です。(元のスコア、及び後年に作曲家自らが書き加えたカデンツのスコアにある末尾の歌詞は《(これ以上)望みません Non chiedo (più)》となっています。) 数年前に大阪で上演した時は演出家の意向で元の歌詞で歌った経験もありますが(音形はそのまま)、今回は良く知られた慣習的なバージョンでお届けします。
オペラのタイトル「愛の妙薬」とは、劇中ではインチキ薬売りの持って来た「妙薬に見せかけた普通のワイン」ということになるのですが、意中の人を振り向かせるのに最も効果がある「処方箋」があるとしたら、それはネモリーノが抱いていたような「純粋な愛」ではないでしょうか。勝手な想像ですが、もし仮にネモリーノの前にインチキ薬売りが現れなかったとしても、その純粋な愛の力でいつかはきっとアディーナと結ばれることになっていたんじゃないかな…と、この役を演じる時にいつも思ってしまいますね。
また舞台でネモリーノになれる日を待ち望んでいます!
(歌詞)
一粒の密かな涙が 彼女の瞳からこぼれ落ちた
あの楽しげな女の子達のことを羨んでるように見えた
僕はこれ以上何を求めると言うのか
彼女は僕を愛してる そう 僕を愛してるんだ
それが分かるんだ
ほんの一瞬でも 彼女の美しい心の鼓動が聞けたら
少しだけでも 僕のため息が彼女のため息と混ざり合ったら
鼓動が聞けるなら 僕と彼女のため息が混ざり合うのなら
神様!死んでも構いません
僕はこれ以上求めはしません
(※写真右上:ネモリーノ(G.マリオ)とインチキ薬売りのドゥルカマーラ(L.ラブラシュ)のシーンの絵。 右下:YouTube配信用コンサートでアリアを歌うところ。)