祭のあとで~その4~

第2夜(10月25日)はさらに回数が増えて、なんと4パターンの衣装(変装?)に早変わり。

まずは『セヴィリアの理髪師』の大アリアを歌うアルマヴィーヴァ伯爵は、朝岡さんの演出プランでは「小さな世界に閉じ込められた愛する女性を開放するため、正義の味方が助けに来た」というもの。

 

 

それがこの、バットマン!!!

 

 

朝岡さんのMCのタイミングを見計らって、ステージ袖から登場した時の客席のどよめき……

 

テノール歌手として初めて体験した「出オチ(※)」の瞬間でした(笑)!

(※登場自体がお笑いのオチとなり、扮装や外見のインパクトで笑いが起きること。オペラでは『愛の妙薬』のインチキ薬売りのドゥルカマーラ役や、全身緑で鳥の羽根で過剰に装飾された『魔笛』のパパゲーノ役など。バリトンやバスが担当することがほとんど。)

 

 

ただでさえ至難のアリアを、仮面を着けてバットマンのキャラクターで演技しながら(マントをバタバタさせるなど)歌うのは大変でしたが、仮面(マスク)をかぶると不思議と「テレ」や「ハジライ」が薄まり、以外にも楽しんでできました。(途中でマスクを取った後の方が恥ずかしかったですね……イケ面でも出てくれば良かったのでしょうが(笑))

 

 

 

 

それにしてもこのアリア(「もう逆らうのはやめよCessa di piu` resiste」)、朝岡さんも紹介してくれましたが、初演後間もなくオペラ全曲上演の時にはバッサリとカットされてきた曰くつきの難アリアです。ちなみに初演のアルマヴィーヴァ伯爵を歌ったのは当時の世界最高のロッシーニ歌いの一人であり、引退後は多くの歴史的な歌手を育てた名教師でもあり、不世出の大プリマドンナと言われるマリア・マリブランの実の父親でもあるマヌエル・ガルシアManuel Garcia。

 

この伯爵役はレッジェーロ(=軽い)の声質のテノールが演奏することがほとんどですし、実際その音楽の性格もあくまでも軽やかさと柔らかさ(甘さ)が求められ、高音域(ファ、ソ、ラまで)が頻繁に出てくるものの超高音(シ、ド、またはそれ以上)は避けられることから、比較的若いテノールがレパートリーにする傾向があるように思います。

 

ところが、オペラ全曲の最終場面に位置づけられたこの大アリアには上記の性格に加えて、悪者(バルトロ)を厳しく叱責する時の力強いアジリタ唱や重さを伴うアクセント、難しい高低差の跳躍、そしてアリアの終結部に入ってからの超高音(シ、変奏によってはドを含む)の連続など、決して単なるレッジェーロ・テノールの範囲だけでは収まらない声楽的技術と声の質そのものが必要になっています。

 

そう、初演のマヌエル・ガルシアはその声楽的演奏条件を満たした「バリ・テノーレ(※)」であり、彼のような軽やかさと力強さを併せ持つテノール歌手はなかなか存在しなかったため長らく演奏されることがなかったということです。

(※中音域でもしっかりした音色を持った比較的力強い声質のテノール。ラから上の高音は強いファルセットで歌ったと言われる。のちの「バリトン」に発展していった。)

 

 

 

あるいは全曲の最後に8分を超える伯爵の見せ場が有るのと無いのではオペラ全体の印象も大きく変わり、直後のカーテンコールで伯爵が大きな拍手をもらうことのなるとすれば、主役の「理髪師」フィガロ(バリトン)はあまり面白くはないでしょうね!ここらあたりの事情も、現代に至るまでアリアがカットされる理由ではないかと推察しています。

 

 

ああ、でももともとのオペラの題名は『アルマヴィーヴァ、または無益な用心』だったはずなのに……(笑)

 

オペラって面白いですね!

 

(続く)